「ネ・ヒ・タ・エゾチ・オッタ、オロ・タ・ネン・カ・アン・テラ・ネヤ・ジンジャ・ネヤ・イサム・ルウェ・ネ」。日曜の昼下がり、釧路市立図書館の一室の扉を開けると、そんな言葉が朗々と部屋に響く。外国語?いいえ、これはわたしたちの住む北海道の民族―アイヌの言葉。今では、民族の間ですら使われることのなくなったこの言葉を研究しているのが、「釧路アイヌ語の会」の皆さん。失われつつある言葉から、北海道の歴史と風土を拾う活動だ。
歴史の奥に「言葉」
設立は1995年。メンバーは全員、アイヌ民族ではない、いわば「和人」だ。
この日は、道内の研究団体が発行するアイヌ語の新聞「アイヌタイムズ」の記事の日本語訳に、奥田幸子さん(56)が挑戦。「蝦夷三官寺」と題し、1789年のアイヌ民族の和人への攻撃に始まり、1804年に箱館奉行が東蝦夷地に、厚岸の国泰寺など3つの寺を作っるまでの歴史的経緯を記した記事だ。訳は7人の出席者全員で歴史的背景や、地理も交えながらチェック。議論はかなり熱い。
「アイヌ文化に興味を持って調べていくうちに、言葉を知らなければ、その奥深いところは分からないと気付いたんです。差別や虐待を受けてきた過去の歴史の中でも、おだやかに自然に感謝を持ちながら生きてきた伝統に敬意を感じます」と奥田さん。今回の訳には、この日の午前2時まで“夜なべ”して取り組んだ。
北海道人なのに…
加藤實さん(73)の前に積まれた、年期の入った数冊の辞典は蛍光ペンでびっしりと線が引かれていた。アイヌ文化の研究を始めて13年。美幌町で育った幼い頃、アイヌ民族は身近な存在だった。でも、その言葉は耳にすることすらなかった。
「10年余り大阪に住んだ時、自分は北海道の人間なのに、北海道の文化であるアイヌ民族やその言葉を知らないことに気付き、恥ずかしかった。勉強してきたのはなぜか奈良の都のことばかり(笑)。今、アイヌ語を通して、自分の住む町の歴史を薄皮をはがすように学んでいるところ」
失われた言葉の背景には、自分の言葉を使うことを禁じられた民族の悲しい歴史がある―とも加藤さんは教えてくれた。
心も見つめ直す
島田精三さん(54)は埼玉県出身。北海道らしい何かを学びたい―と入会した。
「フンペ(クジラ)祭りやシシャモ祭りなど、自然や祖先を大切にする伝統は、今のわたしたちにも必要な精神。でも失っていないか?消えつつある言葉を掘り起こすことで、自分達が失ってきたものも、見つめ直したい」と島田さん。
会では3年計画で「若草物語」のアイヌ語訳にも挑戦中。掘り起こし作業はまだまだ深い。
ことばは生きている!
30年以上もアイヌ文化とアイヌ語の研究を続ける会長の松本成美さん(78)は、この活動を「死滅しかけた言葉に命を吹き込む作業」と表現します。4月からの新規会員も受け付け中。第1と第3日曜が入門コースで午前10時から、第2と第4日曜が初級で午後1時から。会場はともに釧路市立図書館。問い合わせは松本会長57―4367へ。
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