まだまだ景気の風は冷たくて、繁華街でも「最近お客さんが少なくてダメだな―」なんて声が聞こえてくるけれど、小さな街角にもほのかに灯りをともし続けるネオン街がある。その一つ「城山歓楽街」に取材班が潜入!小さなカウンターに普段着の人たちがわいわい集うその空間は、夜のとばりの中で街のみんなを見守り続ける小さな止まり木だ。
カウンターが普段着でいっぱい
「城山歓楽街」の名がついたのは昭和44年。でもネオン街は昭和20年代後半にはでき始めていたそうだ。小路に入ると、あったあった小さなネオンたち。全盛期には30店舗余りが営業していたこの小路。今も、10店が元気に営業を続けている。
のれんをくぐってみたのは小路の入り口にある「ストック」。カウンターだけの、近所のお茶の間のような庶民的な店内に午後8時を回った頃、来るわ来るわお客さんが。あっという間に定員オーバー。カウンターの中にも席ができる程だ。
ママさんの桐多十志子さん(76)はかつては中心街でお店を構えていた。50歳を過ぎた頃、「もっと人間くさい店を出したい」と城山にやってきたという。お客さんは城山界隈の住民が中心。みんな普段着で「ちょっとそこまで」という感じ。
ぎゅうぎゅうが安心
「お店は少なくなったけど、やっぱりここが安心するんですよ。人があったかいのかな」と言う桐田さんに「こうやってぎゅうぎゅうくっついてるのが安心するんだよね」とお客さんの一人。
続いてのぞいてみたのは歓楽街横の「ニュータウン」というかつてのキャバレーを思わせる外観のお店。
城山で半世紀
扉を開けて感激!赤いビロードの椅子が並ぶ店内はかなり「レトロ」。開店の昭和27年から、なんと半世紀も同じ構えというからもっともだ。「もう80の大代超えちゃいましたよ」と笑うママさんの西村きぬ子さんは大正11年生まれ。今も毎晩カウンターに立つ。
今では一人でひっそりと営業を続けているが、30年代から40年代の隆盛期には名前を覚えきれない程の芸者さんや女性スタッフを抱えていたそう。二階に残る8部屋の座敷が、その面影を感じさせる。
「開店当時は前の道路が土で馬車が走ってたんですよ。今は店も古いけど時代は語っているでしょ。街の歴史を語る会をここで開くとか、生かしてほしいですね。この街をずっと見てきたんだから」(西村さん)。
帰り際、「ニュータウン」と書いたネオンの下で手を振り続けてくれた西村さん。城山のネオンが語る歴史に、「新しいマチ」の可能性が見えた。
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