困った時、そばに助けてくれる人はいますか?釧路市の松山優さん(29)は、新潟県中越地震の被災地の人たちを自分にできることで手助けしたいと、一人、新潟県の長岡市災害ボランティアーセンターに乗り込んだ。そこに全国から集まるボランティアは地震発生からの約1カ月間でのべ1万5000人。お年寄りのご夫婦宅のあとかたづけなどに奔走する一方、「人数よりも、どうコーディネートするかが大切」と災害ボランティアの課題も実感した。11月29日には震度5強の地震に見舞われたわたしたちの釧路地域。これは他人事じゃない。松山さんの体験談をもとに、災害ボランティアの姿をリポート!
1日に600人のボランティア
松山さんが長岡市に向かったのは地震から6日後の10月29日、滞在は1週間。ボランティアセンターには1日に600人余りが集まっていた。ほぼ半分が全国各地からやってくる人たちだ。皆、旅費や宿泊費、食費は個人持ち。避難所の炊き出しや寝場所もボランティアにはあたらない。それを覚悟でやってくる。
鍼灸師の松山さんがこうした活動に参加できたのは、勤務する釧路の鍼灸院「杏園堂」の須藤隆昭院長が勧めてくれたから。旅費も職場で支援してくれた。
職場や社会の支援も
地震直後、集まったボランティアの多くは県外の学生やフリーター。しかし長期的活動につなげるためには地元からの参加を増やすことが重要だ。自らも被災者である地元の社会人が復旧活動に参画するためには、社会が体制を整えることが必要―と松山さん。
「ボランティア休暇など職場の支援や理解がないと社会人の参加は難しい。最初はよそから来た僕たちがリュックを担いでいるのに、地元の人たちは皆スーツ来て普通に働いているのを見てなんか変だと思ったけど、今の社会ではしょうがないこと」。
避難所では炊き出しや掃除を手伝った。お年寄りが避難していた介護福祉センターでは鍼灸コーナーを開設。プロの腕で疲れを癒した。
情報の集約が要!
「一週間じゃ足りない。復旧するまでずっといたかった。でも大切なのは僕1人がずっといることよりも、ニーズを敏感に伝える情報が地元に行き渡ること」。
ボランティアセンターで情報がうまく集約できず、大勢の人が暇に時間を過ごすことや、派遣先でも人手が余ることも少なくなかった。でも年配のご夫婦2人暮らしの家でメチャメチャの室内の片付けを手伝った時、人手は余っているんじゃなく、助けを元お目手いる小さな声や情報が届いていないために、無駄が生じていることが分かってきた。
釧路市によると、現在、市の災害マニュアルにボランティアのコーディネート体制は含まれていないそう。もしもの時に、わたしたちがどう助け合えるかちゃんと考えておかなくちゃ―と震度5に震えながら強く思った取材班だった。
他人ごとじゃな―い
長岡市災害ボランティアセンターを統括する社会福祉協議会の佐藤正夫事務局長は「肝心なのはコーディネートの腕。タイムリーに活動を変化させることが重要で難しい。もし来てくれるなら支援ではなく、その時じゃなければ分からないことを学ぶために来てほしい。そっちも新潟の心配している場合じゃないでしょ」と釧路地域のみんなにメッセージをくれた。自分たちの街の問題として考えよう!
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