番台歴53年の成澤さん
其の壱
「春の湯」は、名の通り風呂屋。
本店(現住所、宮本)がある一帯が、昭和七年以前は「春採」と言われていた。その地名から「春」をとり、「春の湯」となったらしい。
らしいと言ったのは、祖父がこの風呂屋を買った時には、もう「春の湯」と名がついていたから。昭和十八年のことだった。
もともとの「春の湯」の持ち主は富山県出身。そして、間をとりもってくれた方も富山県人。祖父もそう。そんな『富山縁』で、この湯へとたどり着いたらしい。
祖父の持論は、風呂屋は家族労働でする。商いは、ベコ(牛)のよだれのように細く長く続ける。一度上げた『のれん』は下ろさない。定休日以外は休まない。風呂の中では皆平等、裸なのだから。
祖父からの教えは父に受け継がれ、母は嫁に来た次の日から番台に座っていたと言っている。昭和二十七年生まれの私は、番台歴は当然五十三年ということになる。
小学校の時は、校区内に担任の先生の住まいがあったので、毎日一緒に風呂に入っていた。同級生たちは先生の背中を洗い、先生は生徒の背中を流し、「背中、キュッキュいっているね」などと言い合い入っていた。
同級生の男の子には、「お前、いっつも番台にいるべぇ」と、嫌がられていたのも気にせず、母がいた番台にいつも一緒に座っていた。先生と母は、学校での様子の情報交換をしていたようだった。ある男性客が教育大生と知ると、出来の悪い娘のために、家庭教師を頼んだりと、母は自分では「世間話やうわさ話をしない」などと言いつつ、しっかりと情報を耳にしていた。
次号からは風呂屋でのよもやま話を通し、風呂のお湯よりも熱い、厚い、人と人の人情、そして風呂屋の必要性と、良さも伝えてゆきたい。
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