「世界初の響きを日本から―」。 |
濡れた指先でグラスの縁をそっとなでる。高く透んだ、ボーイソプラノのハミングのような清らかな音が湧き上がった。振動が指先から伝わり、胸の奥まで響いてくる。
「これは心を映すんです。きれいな音が出ましたね。あなたの心がきれいな証拠だ」
そう優しく笑う人が、隣からふんわりとグラスに手をかざした。透明なハミングが重奏になってあふれ出す。
グラスハーモニカ。29個のグラスで音階をつくり、指の摩擦でメロディーを奏でる18世紀の欧州で「天使の歌声」と呼ばれた楽器。それを惜しげもなく子どもたちやお年寄りに触れさせ、音に「心を映す」人がいた。
2002年、チャレンジ隊主催のイベントで。 |
「こんなのもありますよ」。少年のように笑った。
手にはスイスはアルプスの羊飼いのシンボルとしても知られる全長3.3メートルの「アルプホルン」。しかし、アルプスのそれとは明らかに違う。透明―。演奏者の体まで透けて見えるガラス製だ。
『ふっ』と息を入れてみる。透明な管の中を真っ直ぐに抜けていくのが見える。やがて高く深い響に変わり、息は3.3メートルを駆け抜けた。
小沢千尋さん(58)。北海道教育大釧路校教授。かつて、ホルン演奏家として国内外の第一線で活躍する一方、世界で初めてのガラス楽器のバンドによるコンサートを実現させ、国内外の楽器研究家たちを仰天させた。今、北海道の東端、小さな街のスミでつぶやく。
「音楽は難しいものじゃない、もっと気軽にやりましょうよ」
1985年、茨城県筑波市、科学万博つくば '85。ステージを前に驚きの声が上がった。アルプホルン、マリンバ、トランペットにフルート…と並んだ楽器はすべて透明、ガラス製だ。シンデレラのガラスの靴を思い起こす、まるでおとぎの国の楽団。スポットライトに反射し、キラキラ七色の光を放つそれは、おもちゃじゃない。金管、木管とも違う、高く透明な音が響き渡った。
1985年、つくば万博。 |
この世界初のガラス製楽器の楽団の演奏会は、海外にもテレビ放映された。「透明楽団」は一躍脚光を浴びた。そのリードをとったのが小沢さんだ。
このプロジェクトを立ち上げたのは大手ガラス食器メーカーの当時の社長、佐々木信次さん。グラスハーモニカ、次いでマリンバの製造に成功後、「次はアルプホルンを」と熱望した。ドイツ留学を終え東京都でホルン奏者として武蔵野音大講師をしていた小沢さんに、技術開発者として白羽の矢が立った。
楽器の開発など手がけたことはない。でも「世界初の試み」―その言葉に心が躍った。「やらせて下さい」、即答した。
アルプホルンの本来の素材はアルプスの松の木。谷間に根を張るため、根元が曲がっている。アルプホルン独特の先端の曲がりは、天然の形状を生かしたもの。3mを越える根元の曲がった松の姿を、ガラスに置き換えることが至難の業だというのは、すぐに分かる。
ベテランのガラス職人たちは口を揃えた。「無理です」。
しかし発案者の佐々木さんは譲らない。日本のガラス工場から世界初の製品を―と力を込める『男気』に、やがてチームは走り出した。小沢さんはアルプホルンにふさわしい音を出す長さを算出、設計図を書いた。ガラスを伸ばし造作するには限度がある。しかし研究を重ね分かったのは「ホルンらしい音は3メートルを越えないと出ない」。
職人たちのガラスとの格闘が始まった。約1100度、真っ赤に溶けた4キログラムものガラスの種をパイプの先に巻き付け、息を吹き込む。固まる前に3メートルを超す長さまで延ばし、真っ直ぐに成形する。ガラスの種を受ける者、吹き伸ばす者、温度を下げるためにうちわで扇ぐ者、下がり過ぎた温度を上げるためガスバーナーをあてる者…熟練した職人5人がかりで、まさに『熱闘』を繰り返した。
3ヶ月後、完成した長いガラスの管に小沢さんが一息吹き込んだ。一瞬、間を置き、佐々木さんが真っ赤な顔で駆け寄り叫んだ。「これは未来の楽器だ!」。
「その時の音は、僕にはよく聞こえなかったんです。ガラスは固体じゃなく、いわば『にこごり』。音は固体に比べ方向性や輪郭がなく、どこで鳴っているか分からない、空気と溶け合う感じなんです。だから演奏者には聴こえにくい。でも、皆さんの顔が一斉に輝いたのを見て、新しい生命が生まれた―って分かりました」
長野県松本市で育った。学校にはブラスバンドもなく、街ではコンサートが開かれることもない。音楽とは無縁の野球少年だった。中学の時、武蔵野音大からの教育実習生がピアノで「乙女の祈り」を披露した。目の前のピアノにドキドキした。
「僕は絶対、こういう人と結婚したい!」。少年は密かに心に誓った。
「高校に合格したらトランペットを買ってほしい」
親に初めてねだった。合格を果たし手にしたトランペット。高校に吹奏楽部はなく、毎日、一人で練習した。隣近所は「カラスが鳴かない日はあっても、ちーちゃんのトランペットが鳴らない日はないねぇ」と笑った。カラスよりも天高く響いた少年のトランペットは、音楽を進路に選んだ。
ホルンを始めたのは高校3年の時。遅いスタートだったが、武蔵野音大に合格した。
「大学では入学していきなり劣等生。都会の子は小さい頃から音楽教育受けてましたから、地方の子は皆劣等生でした」
18歳で出会ったピアニストの女性がやる気をかきたてた。「絶対に結婚したい」。そのためには一流の演奏家にならなくては。1日10時間、猛烈に練習した。その女性は在学中に生涯の伴侶となった。中学時代「乙女の祈り」の演奏を前に「こういう人と結婚しよう」と誓った少年は夢を実現。音楽の道を、猛スピードで走り出した。
大学院卒業と同時にドイツ国立ハンブルク音楽大学に留学。修了後、ドイツのリューネブルク市立管弦楽団で主席ホルン奏者を2年間務めた。帰国後も国内第一線の演奏家として活躍。世界初のガラス楽器の開発後には、その演奏を現在の天皇、皇后両陛下(当時皇太子夫妻)、ベルギー国王など国内外の最高位の面々を前に披露した。各地でソロリサイタルを開催。その数は東京だけでも9回を数えた。
50歳―北海道は釧路市の大学の小さな研究室に、静かに活動拠点を移した。
「松本での少年時代は、こんな田舎イヤだって思ってたけど、音楽の都ドイツも田舎でした(笑)。一流の演奏家たちが自然の中でごく普通に暮らしていました。本当に一流の人たちは、決して『特別の人』にはなっていないんです。だんだんそれを実感してきた。東京で音楽界の第一線にいたことは財産。でも、どこか片寄っていて、外国かぶれでもあった気もします。僕も松本では虫や鳥の声を全部聴き分けた。それが僕の音楽の原点。原点に帰らないとダメだ―って思ったんです」
「これからはスポットのあたる場所じゃなく、膝を交えた場所で演奏がしたいな」、釧路市城山のキャンパスで |
釧路のキャンパスでは学生たちをどんどんけしかけた。小中学校を訪問しての演奏会。蛍光塗料を活用した「ブラックライト」を用いた音楽劇。養護学校では、マンボに合わせて踊り出した子どもたちの姿に、演奏する学生たちが興奮した。
今夏、小沢さんは根室市の小さな小学校をまわる演奏会を始めた。子どもたちはホルンの演奏に目を真ん丸にした。それは松本で「乙女の祈り」のピアノに胸をときめかせた小沢少年の姿だった。
「あの時僕が感じたドキドキした気持ちを、小さな街の子どもたちにこそ伝えたい。音楽って楽しいんだよって。ガラスの楽器だっていかにも楽しそうでしょ?楽しむ心が映ってこそ『音楽』」
透明なアルプホルンにゆっくり、ふか―く息を吹き込んだ。心を映す透明な響きが、小さな街の小さな音楽室ををふんわりと包み込む。(文・佐竹直子 写真・酒田浩之)
道教大釧路校音楽研究室同窓会「鶴音会」主催の小沢千尋さんのコンサート「ホルンの調べ」が11月26日(土)午後3時から道立釧路芸術館で行われます。入場は無料です。
Copyright(c)2001-2005 Challenge Network Vollunteer Action All Rights Reserved. |