今号のテーマは「アート」。
私達チャレンジ隊にも思い出深いアートがある。活動2年目の2000年。廃品を芸術作品に再生する「エコ・アート」なる物に挑戦した。中心となったのは10代から20代前半の若者たちだ。
割れたガラスはオブジェに、古タイヤは草履に変身した。中でも、使用期限切れのCD約300枚をつなぎ合わせた幅2メートルを越える北海道地図は圧巻だった。若者達の姿に共感した商店街の協力で、イベント終了後約2週間、駅前のビルのウィンドウに飾られた。その後、なんとJR釧路駅正面に半年余りも飾ってもらえた。釧路の玄関口で私たちの「CD北海道」がキラキラ輝いた。小さな取り組みに地域が振り向いてくれた―それは活動を始めたばかりの私達に大きな自信をくれた。
「本当に嬉しかった―。あれをきっかけに、何でも挑戦してみよう!って思うようになりました」と当時釧路公立大生だった山谷真悠さん(25)。
彼女は大学卒業後、釧路町で就職。今は市内の老舗ジャズ喫茶店を拠点に、各種ライブや音楽イベントの実行委員を幾つも掛け持ちし年中奔走する。挑戦を続ける彼女の背中に、あの「CD北海道」の輝きが重なる。
ひとの「やる気」が何を入り口に湧き上がるかはそれぞれだ。子どもの頃の私は人見知り、運動音痴。電子オルガンを習っていたが譜面通り弾くのが苦手。音楽教室の先生にほめられることもほとんどなく、課題曲の練習よりもっぱら思いついた曲をでたらめに弾く「作曲ごっこ」にふけっていた。
小学5年の時、転校先の先生が夢のような言葉をくれた。「曲を作ってみよう」。実際はその先生が作ったと言える程手を入れてもらったのだが、作曲者に私の名が入った曲が出来た。タイトルは「夢のコンサート」。
釧路市内小中学校の合同音楽会のテーマ曲になり、参加者全員で大合唱してくれた。運動会はいつもビリ。それまで何かで賞状をもらったこともなかった私の胸は、ドクンドクンと高鳴った。曲づくり―それが私の「やる気」の扉に灯りをあててくれた。扉を見つけられずにいる人はきっと沢山いる。数え切れない程あるんだよ、そう伝えたい。今号を埋める沢山の「アートの扉」を眺め思う。
(じゅう箱のスミ編集長・チャレンジ隊代表・佐竹直子)
Photo:
左)2000年「チャレンジくしろ24」でのエコアート。
右)自作のデッサン画を入れたライブポスターを手に、山谷さん。
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