チャレンジ隊の人・声・街をつなぐ サクサク情報 おしょーゆマガジン

じゅう箱のスミ

2005.AUGVOL.08

E-mail >HOMEじゅう箱のスミWebVOL.8>この街のスミで

この街のスミで…

「小さい通りだからこそ迫力があるんだ」

2005年8月、共栄稲荷神社神輿行列を目前に人通りも少ない静かな通りに一晩の夢の青写真を描く。頭上には自ら塗り上げた鳥居。

「来年はそろそろ塗り直すか―」。肩を揺らしはっぴの襟を正す。

龍のひげ 中川健司さん

額縁づくり、楽しかった―」。「まだやってる、額縁づくり?」

2002年7月。道教大釧路校のあちこちに手づくりの木製額縁を手に満面笑顔の主婦、サラリーマン、子供たちにお年寄りの姿。わたしたちチャレンジ隊と大学が共催し、大学を地域の財産として開放しようと企画したイベント「チャレンジくしろ」での光景だ。30余りの団体がそれぞれの活動を持ち込みボランンティアで市民に体験の場を提供してくれたこの日、一番人気だったのがリフォーム会社企画の「額縁づくり」コーナーだった。

朝から次々とやってくる人々に、嫌な顔もせず繰り返し繰り返し丁寧に作り方を教え続けているボランティアの職人がいた。その人が塗装会社の社長であること、そして祭になると神輿(みこし)の先頭に立ち神社の神を守る、『粋』な人であることを後日知った。

「みんなの嫌がることを進んでやる、そしてみんなが喜んで笑顔になることも進んでやるっていうのは世の中で大事な役割だ。あなたたちだってそう思ってボランティアやってるんでしょ?わたしもね―だから神輿やってんです。神輿みて怒った顔する人はいないでしょ。なんてったって、神様乗せてるんだから」。

中川健司さん(54)。

共栄稲荷神社の神輿を担ぐ釧風会を1993年に立ち上げた。塗装職人のがっしりとした手、そして「俺んとこの神様」を乗せる肩にはしっかりと固い「神輿こぶ」があった。

2005年8月。釧路駅から北に歩くこと10分程。住宅地と商店街の間にすっぽりと納まる小さな神社―共栄稲荷神社。社務所では8月9日から始まる例大祭の準備がひっそりと且ついそいそと進められていた。

2004年9月、末広まつり。共栄稲荷神社奉納の神輿とともに繁華街を練り歩く。

この小さな神社に、重さにして1?近くはある豪奢な江戸前神輿が奉納されている。例大祭の行列では、さらに道内各地から7基の神輿が加わる。いつもは静まりかえった町の片隅が、この日だけは熱気、汗、歓声が渦を巻く文字通り「真夏の夜の夢」を描く場所となる。その指揮を取る。

「毎年、10日も前になるとそわそわして。気持ちはもう神輿に乗ってる。子どもとおんなじさ。用もないのにしょっちゅう神社に顔出してみたりね」

笑いながらふっと鳥居を見上げる。

「来年はそろそろ塗ってやった方がいいかな」職人の顔だ。

3年に一度、奉仕で鳥居を塗装する。今は「俺んとこの神様」という言葉がひんぱんに口から出る程、この神社と神輿への思い入れは深いがその縁結びはほかでもない。本業の「塗装」だった。

神の居場所を『塗る』

30代も半ば、塗装業で独立し3年程たった頃だ。知人の紹介で共栄稲荷神社の屋根と鳥居を塗装することになった。

「神様の場所で仕事なんて、大変なことだ」

信仰の深い方だった訳ではないが神社には思いがあった。釧路市の浪花町、かつてトンケシと呼ばれた浜の街で育った。漁師たちは祭り騒ぎが得意中の得意。近所の寿町の八幡神社の祭は、男たちの熱気と子供たちの笑顔がいっぱいだった。物心ついた時には神社の神輿行列で旗持ちをしていた。祭の『粋』は浜の男たちの背中に教えられた。

成人後は、祭から離れていたが、その数年前から、知人の誘いでほかの場所で神輿担ぎを手伝い始めていた。神社から神輿に神様を迎える儀式。街を練り歩けば神輿に向かい人々が手を合わせる、行列を終え神社に神様をお帰しする「宮入り」の儀式は祭のクライマックスだ。その経験者なら分かる。―神社は神聖な場所だ。

塗装作業には神を汚さないようにと毎日、地下足袋を新品に取り替えた。機材も最小限に控え、45度はある急傾斜の屋根をロープ1本の命綱で作業にあたった。朝と夕刻には、従業員全員が神前に並びお参りすることも欠かさなかった。

裃に「俺にはあわん!!」

後日、神社の鈴木穂宮司から声がかかった。氏子の取りまとめ役である「総代」を務めてほしい―という。20人程のほかの総代は50代以上の年配者中心で街の名士ばかり。当時は神社の氏子でもなく、尻込みした。

「これだけいい仕事をして、そして神様にも礼を尽くしてくれる職人さんは見たことがない」。

職人にとって宮司のその一言はキメ台詞だった。「総代」の列に30代半ばの塗装職人が加わった。

神社で毎夏行われる例大祭。最も祭を賑わす神輿行列の中で総代は、武士の礼服「裃(かみしも)」を着て、神輿の前を練り歩く。周りは威風堂々たる年配者だが、自分はどう見てもまだ小僧。侍なんてがらじゃない。1年目に気づいた

「俺にはあわん!」

3年間はしんぼうしたが神輿の熱気がうらやましく、後ろを振り向いてばかりいた。「袖を抜いて飛び出したい」と思う気持ちを抑えきれず、夜には裃を脱ぎ捨て、神輿の列に加わった。

1993年、42歳。共栄稲荷神社を拠点とする神輿の会「釧風会」を立ち上げた。

江戸前神輿、空へ叫ぶ

神社に新しい神輿をと総代会や地域住民、発足したばかりの釧風会が寄付金集めに奔走した。東京の神輿職人への発注役を担った。江戸前神輿の図面を自分で書き、屋根の彫りは龍を四方に流した。前橋の工房へも自ら足を運んだ。

神輿職人が図面をもとに仕上げた龍を出した。ひげが違う―瞬間そう思った。相手は神輿の彫り物を専門とする職人。しかし自分も同じ職人、その違いを見逃すことができず、口に出た。

「これはナマズか?龍じゃない!」

2005年7月、厳島神社例大祭で。地元の担ぎ手たちが集結する行列で先頭を切る。

神輿職人の顔が変わった。「わかりました」。パーンとハンマーで仕上がったばかりの龍をたたき壊した。

その晩、2人で酒を酌み交わした。酔った職人が言った。「正直言って、時間をかけて掘った物をナマズなんて言われた時はカチンときました。でもわたしも粋な男だ。直しましょう」。それから3度目の訪問。神輿職人の手から「最高」と言いきれる龍を手渡された。

図面を引いてから8カ月後。念願の神輿が釧路に届き、共栄稲荷神社に奉納された。初のお披露目となったのは港まつりの大漁パレード。奉納された神輿は、神社の例大祭以外で使用しないのが一般的だったが、宮司は言った。

「神社は地域のよりどころ。神社に奉納された神輿も地域の財産。皆さんが喜ぶなら担いであげなさい」

大漁パレードで賑わう北大通。初お披露目された豪奢な江戸前神輿に、沿道の市民から「ウォーッ」と歓声が上がった。屋根の四方を流れる四尾の龍が釧路の天空に向かい叫びを上げたかのよう。

神輿職人が打ち砕いた『ナマズ』と呼ばれた龍、「直しましょう」と言った声、同じ職人として分かるその重みと痛みがよぎり、うるむ目を静かに空へと向けた。

「輪」を背負う

例大祭本祭の夜までには丁寧に神輿のすすを払い、翌日の行列に向け、1トン近くある巨体を神殿から境内へと数十人が息を合わせ静かに運び出す。1人の力では微動だにすることのない巨体が、賑わいを前にゆっくりと動き出す。

「神輿はどんなに立派でも決して1人で担ぐことはできないんです。『わっしょい』の『わ』は『輪』。祭はみんなの輪があって始めてできる。神輿を担ぐことでわたしたちは、人の輪を神様に見せてるのかもしれないな。ちゃんといい仲間がいますって。神社の屋根を塗るのも、命綱を握る人がいなきゃできない。いい仕事だって一人ではできない。神様に試されているんだ―って思いながらそれを楽しんでますよ」

その職人は命綱を担ぎ棒に代え、この夏も小さな通りを熱気に包む。

(文/写真:佐竹直子)


−VOL.08 表紙に戻る−


Copyright(c)2001-2005 Challenge Network Vollunteer Action All Rights Reserved.