「すっごく楽しかったです!また連れて来てください!」
取材後、泣きそうな顔で懇願してきたのはじゅう箱記者の竹沢麻奈美さん(18)。その顔をみて、こっちも泣きそうになった。だってそういう顔を見たくて始めたんだもん。
一緒に取材に行ったのは、10年前から毎夏ベラルーシ共和国の子どもたちを1カ月間自宅で預かり続けている渡辺透さん・千恵さんご夫妻のお宅。竹沢さんはその活動すら知らなかった。
夕ご飯のお誘いに甘えた。取材が食卓を囲んでの賑やかな交流会に変わった。
「最初の子はお母さんのお腹の中でチェルノブイリ原発事故に被爆したの。釧路に来ても、ちょっと血が出たら止まらなくて。9歳の子がうちに下宿する大学生に『私は病気で、お姉さんくらいまでは生きられない』って言うの。切なかった―」
そんな千恵さんの話しに竹沢さんのペンを持つ手は止まった。わたしは動かないペンに見て見ぬふりをした。それでいいんだ。心に深く刻まれた記憶は絶対に消えない。記事はね、ついででいいんだよ。 「次回のためにロシア語のあいさつ勉強しておきます!」とメールが届いた。彼女の中で何かが芽吹いたはずだ。
助走もないまま手探りで走り始めた本紙も今号で8号を迎える。創刊号で取り上げた寝たきりの奥さんを自宅で10年も介護し続ける野瀬義昭さん(72)。記事が反響を呼び、介護の実状を語る講演依頼が多数舞い込むようになった。テレビ局の全道放送でも取り上げられた。あれから1年たった今でも、介護と講演活動の両立に忙しい日々が続いている。
「わたし達を社会から置き去りにしないで」
1年前、奥さんと二人っきりの自宅の部屋でそう訴えた野瀬さんが今、社会に求められている。先日、そんな多忙な毎日の報告のあと、こう言ってくれた。
「じゅう箱のスミはね、わたしたち夫婦を本当に街のスミから拾い上げてくれたんだよ。そっちの方が記事よりもドラマだ。迷うことがあったらそれを思い出しなさい」
記事はついでなんだ。そうだ。その奥にある宝物をわたしたちは知っているんだ。だからさぁ、明日もスミの誰かをつっついてみよう。
(じゅう箱のスミ編集長・チャレンジ隊代表・佐竹直子)
Photo:チェルノブイリ救援釧路の渡辺さんご夫妻宅で来釧中の子どもたちと竹沢記者。思い出のアルバムを手に。
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