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山の学校の会だより 第3号

五月。ヒンズークシ山脈の雪解け水が轟音をたて、すさまじい勢いで川を流れていく。山にも緑が息づき、高山植物の可憐な花が一斉に咲き始めた。

一年ぶりに訪れた「山の学校」。一年生も入学して、とてもにぎやかだ。

昨年撮った写真をみんなに手渡していく。背が伸びた子、大人びた雰囲気になった子…成長に私もうれしくなる。でも、何枚かの写真が残った。四年生で一番、背の高かったカーン君の写真だ。「今日は休みかな」!。私の言葉にみんな黙っている。すると、ドスト先生が「彼は死んでしまった」と言った。驚きのあまり、言葉を失った。

早朝の礼拝時、ランプが倒れ、部屋の干草に火が移り、火事になった。その火事で隣家の壁の中に隠されていた弾薬が爆発。姉と二人、崩れ落ちた家の下敷きになってしまったという。弾薬は、ソ連軍と戦おうと、壁に隠していたものだが、隠した本人も死んでいて、誰も知らなかったらしい。

将来は「大統領になりたい」と話していたカーン君。この、山の学校の子どもたちが、将来の夢に向かって羽ばたけるようにと始めた支援活動だが、自分の夢を実現する前にカーンが死んでしまった…。とても悲しく、悔しかった。戦争が終わって五年がたつのに、まだ戦争が生々しい口を開けて存在しているような気がした。片足を失った子もいるし、父親を戦闘で亡くした子もいる山の学校。アフガニスタンに本当の平和が来るのはいつの日だろうか。私たちに大きなことはできないが、せめて、その日が来るまで、この子たちを見守っていきたい。

二週間の滞在だったが、帰国の日がやってきた。それを知った子どもたちが乾燥果物や乳製品を「日本の方々に」とたくさん持ってきてくれる。中には、バケツのようなタッパー一杯のヨーグルトや山のような胡桃もあった。すべてを日本に持っては帰れないが、子どもたちの気持ちだけはしっかり日本に届けたいと思った。

長倉洋海


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