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じゅう箱のスミ

2006.OCTVOL.12

E-mail >HOMEじゅう箱のスミWebVOL.12>お題でドン!

ガンバル人に聞いちゃいました お題でドン!

今月のお題

限界バリバリ特集

今回はさまざまな「限界」に挑戦する勇者たちの特集です。限界を超えてがんばる人たちの言葉には、どれも重みがありますねー。ところであなたは、限界に挑戦していますか?

文相撲横綱・コケ山 鴨崎弘子さん

37歳でだんなを亡くした時には、うつにもなりました。でも、40歳で川湯の文相撲大会で準優勝して、生きがいみつけたーって目の前が開けたんです。そしたら交通事故で骨がパラパラ。普通は選手生命の限界。でも相撲やりたさに無我夢中でした。次の年とその翌年と3年連続で準優勝。そして「次は優勝だ!」って意気込んだとたん勝てなくなった。4年間も。そんな間に川湯の文相撲が廃止に。「優勝」ほしさに釧路から福島町の大会に乗り込んだら、一回戦敗退。悔しかったあ。次の年も行きましたがダメ。辛かったですよ、体力は落ちてないのに勝てないんだから。でもやっぱり相撲がとりたい。3年目、「福島まで観光旅行だ」って開き直って出場したら、あっという間に優勝。あれっ?って感じ。邪魔してたのは、先走りした「欲」だったんですね。今、51歳。来年で相撲は引退します。体力はまだまだだけど、限界を見せたくない。いい時に身を引きたいじゃないですか。山口舌恵みたいにね(笑)(取材・小椋幸子)

 

福島町の大会で

「さげパンの限界!」 吉永勝誠さん

はいい(驚)?!僕のさげパン度についてですかあ?ほかにもズボン下げてる人いるじゃないですか?ちょうどいい下げ具合なんですかあ?中学の頃から下げてます。周りもみんな下げ始めたし。親からは「だらしないからちゃんとはけー・」って言われますけど。今、高専の2年ですが、私服でもずっとさげパンですね。上すぎると落ち着かない。困るのは、走る時。ズボンが落ちそうになってやばい時がありますよ。急ぐ時は押さえますね(笑)。限界ですかあ?パンツは見せません。上着はズボンにすそがかかる位の大きめ。「見せパン」はしない!

《彼女のチサトちゃん談》

ぴっちり上げたズボンより、さげパンの方がカッコいい。パンツが見えるのはせいぜいおしりの半分までが限界かなあ。ちなみに、 わたしの高校では女子がスカートの中に、短パンがわりに男物の『ガラパン』はいて「みせパン」するのがはやってます(笑)。わたしはしてませんが…(取材・中野登晴)


<さげパン(腰パン)>

もともとは米国のヒップポップファッション。囚人たちが、サイズの大きい囚人服のズボンを、ベルトの着用が許されていないために、ずり落ちたままはいていたのが発祥とされている。ヒップホップは、抑圧されたアフリカ系やヒスパニック系の文化で、社会への反骨と受刑者への羨望や実体験から、この「腰パン」を始めたと言われている。


右は「あげパン」の取材者、左が吉永くん。
身長はほぼおなじだ。

釧路湿原全国車いすマラソン大会
 手動8キロコース第1位 者田崎貴さん

今回は仕事が忙しくて、思うように練習できず8キロにしたんだけど。はい、一応1位です(笑)。26歳からハーフマラソンを始めて、短距離走へと移行。その頃は練習につぐ練習と年間4、5ヶ所の大会に出場する日々でした。100m走は、タイムー7秒くらいの一瞬の世界。毎日ルームランナーで走りこみました。そのキツさも楽しかった。31歳、高知国体で1位に。しかも100mと800mの両種目での優勝。嬉しい反面、すっかり気が抜けてしまった。限界を越えたというか、目標を見失ったというか、その後金く練習する気になれなくて。するとみるみる腕の筋肉が弱くなる。生活にも支障が出てくる。移動、車の乗り降り。僕たちにとって筋トレは、競技のためだけじゃなく、生きる為に必要なんです。32歳、考えた末、釧路の大会1本にしぼって競技を続ける事に。去年はハーフだったけど今年は8キロ。仕事も忙しいし、思うように練習出来ない。でも来年は35歳。またハーフ復活!目標はタイムー時間を切ること!!(取材・宿谷友美)

釧郷連 祭遊 小野寺恭子さん・滉翔くん

もうすぐ5歳のこの子が神輿に立ったのは2歳の頃。1歳の後半から紙おむつしたまま神輿の棒に立ってたから、もう怖がりませんね。わたしの肩車で練習したり、おふろのフチに立ったりして鍛えてました。もともと、わたしが神輿担いでたから、もう祭ばやしが子守明代わり。1歳になるまではベビーかーで、神輿について歩いてたんだけど、会のみんながすごく面倒を見てくれて「滉翔は祭遊の会員だよ」って。うちの会は女性が多いせいか、この子ったら大人の女の扱いに慣れてきて、保育園の先生に、「髪切った?」「先生、せきしてるけど風邪引いたの?」なんて女心をくすぐるようなこと言うらしく、先生も、ほんと4歳?って思うことあるって驚くくらい(笑)。でも、まだまだママっ子。だから、衣装は浅草からわたしとお揃いのを取り寄せてます。大人は一回買ったらすり切れるまで何年も着れるけど、子供は一年でどんどん大きくなるから毎年買い替えで経済的には大変(笑)。今は、どこでも一緒に行くから、親子で神輿を続けることに限界を感じることはないけど、小学生になって、同好会活動とかやりたいって言い始めた時に、悩んだりするのかなあ。(取材・及川義教)

釧路工業高校ボート部コーチ 天城秀真さん

今からもう30年前、釧路工業高校に入学した時、「廃部寸前」のボート部に、素人8人で入部したんだ。先輩もいない。どう練習したらいいのかわかんなくて、みんなで相談して、全国4位まで進んだ時の大先輩、西村能範さんに「教えてほしい」と手紙を書いたんです。「まず陸トレやれ」ってだけ言われて、その通りに、もくもくと陸トレしました。ボート部なのに丸2年間、船にも乗らず(笑)。3年の時の高体連道予選が念願の大会初出場。そしたらいきなり3位。国体道予選では優勝。青森の全国大会でも、なんと準優勝。周りも驚いたけど、自分達が一番驚いた(笑)。大先輩の一言が、消えかけていた部を救ってくれ、僕たちに挑戦する楽しさを教えてくれたんです。だから僕も、卒業してから現在まで30年近く、母校のコーチを続けています。そして今も現役目一釧路川で毎夏行われる「幣舞ボートレース」には、大会スタートから24年間出場し続けています。体力の限界?まだ感じていないなあ(笑)。(取材・寓居輝久)

ハムで電波の限界に挑戦する 旭迪さん

世界中の国のうち、まだ交信したことがないのは10カ国くらい。そのほかは聞いたことない小さい国や島まで交信しました。2004年には世界1五局との交信を達成しました。当時で、世界中で65番目。それだけ難しいんです。なにせ地球の裏から、ロシアの端、遠洋の無人島まであるからね。そういうところと交信するには、一日に17時間も無線機に向き合って、10年や20年に1回の電波が届くチャンスも逃さないよう待つんです。限界を感じるのは、まだ電波が届いていない小さな街や島に本当に人がいるのかも確かじゃない時。世界中のハム仲間で1億円もの募金を集めて、今年2月、南極近くの「ピーター一世島」っていう小さな島に、ノルウェーの有志がアンテナをたてました。釧路の自宅からそこと電波がつながった時は「やった!」って無線機の前で小躍りしましたよ。世界中の仲間が手をとりあった、電波の限界への挑戦です。4年ほど前にイラクのフセイン元大統領の家族とつながったこともありましたが、紛争の激しい国は、電波が規制され交信できません。ぜひ、交信をかなえたい国のひとつが北朝鮮。電波の限界を超える鍵は「平和」でもあるんです。(取材・小池田洋祐)

釧路北陽高校演劇部 滝野聡美さん

去年、全国大会出場が決まった時点で三年生は引退。今年の夏に新キャストになりました。「主役」なんて想像もしてませんでした。設定はピアニスト志望。劇中でも何曲か弾く。当然、上手にですよね。エレクトーンを8年ぐらい弾いてましたが、ピアノは初体験1・本番までは一ヶ月!無謀すぎます。でも、皆が私を信じてくれたんですから。緊張?してる暇がありません(笑)。同じ鍵盤とはいえ、エレクトーンとはまったく違います。それでも一週間ぐらいで、いけるかな?とい、つ状況までなんとかもっていけました。ピアノを長年やられている千葉雪絵先輩に指導して頂いたのが大きかったです。千葉先輩が劇中でピアノに挫折した同級生を演じるので、それより下手だとお芝居が成立しない!全国大会では辛うじて弾き終え、テレビで全国放送もされたのですが、力メラがわたしの弾く手に集中して困りました。今まで何かをやり遂げた経験があまりなく、最後までやり遂げられたことが本当に本当にうれしかった。(取材・前田慶)

釧路北陽高校演劇部は今夏、京都で開催された高文連・演劇部門の全国大会に北海道代表で出場。全国2位に相当する「文化庁長官員」を受賞した。

釧路市消防本部特別救助隊 西山男平さん

釧路市消防本部に入り5年目。今年、釧路で12名しかいない特別救助隊に選ばれました。僕たちの仕事は一刻を争います。仮眠中でも、サイレンが鳴ると2分で準備を済ませ、出動です。火災現場では酸素ボンベや防火服など10Lほどの重さの装備を背負い消火にあたります。それに耐えられる体をつくるために、休日にも腕立て伏せなど体力づくりは欠かせません。今まで、100件以上の現場に立ち会いました。被害にあった方たちの姿にも多く遭遇し、はじめの頃は、動揺してしまうこともありました。交通事故で車に挟まれ「助けて…」と言っていた方の姿は今も忘れられません。消火活動中に2階の床が抜け落ちた時は「もうだめか…」とおろおろしてしまいした。でも、先輩たちがどんな時にも冷静に迅速に行動する姿をみて、精神的な強さこそが、救助の限界に挑戦するには必要なんだと感じました。僕たち隊員は家族のように生活を共にしています。一緒に食事を作ることも、現場で心を一つにする「チームワーク」につながります。体だけではなく、精神面の限界にも挑戦していきたいです。(取材・栗原皮佳)

阿寒摩周キング・オブクリーンウォーク参加者 宍戸英山田さん

限界を感じても…歩き続けていきたいですねえ。40代で男性では珍しい骨組しょう症とわかり、病気に負けちゃいけない、体を鍛えようと始めたマラソン。30年くらい続けています。10年前までは毎年フルマラソンに参加していました。72歳ですが、今もハーフや10キロのマラソンに参加しています。辛い時は、バランスをとりながら、とにかくついていく!という気持ちで走っています。『すてたら阿寒ひろい摩周』を合い言葉に、弟子展観光文化センターから阿寒湖温泉までの42.195kmをゴミ捨いをしながらウォーキングする「キング・オブ・クリーン・ウォーク」には最初の年から参加してもう4回目。正直、走るより辛いです。8〜9時間はかかりますが、自分のペースを保って景色を楽しみながら、みんなに置いていかれないように歩いています。阿寒湖畔に住んで50年ほどになりますが毎朝の日課は、家の近くを10キロくらい歩くこと。クマの足跡や、恋の時期には雄グマの姿を見たこともあります。秋には紅葉も楽しんだり、自然も満喫しています。老いてはいきますが、これからも転んでも起き上がり、たとえゆっくりでも、歩き続けていきたいです。(取材・杉下久美子)

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